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【和装本から広がる府川次男先生の世界】第2回:教育者から創作和装本作家へ

2018/08/31

和紙の店 大直 吉祥寺ロフト店にて、和装本製作の講師としてお招きしている 府川次男先生。
和装本の他にも書や拓本の各分野で高い評価を受けてきた一方、ご自身の経歴を「道楽人生」と振り返ります。
府川先生にとっての和装本とは、一体どんなものなのでしょうか。
連載「和装本から広がる府川次男先生の世界」では、学校教諭、社会教育の講師、創作和装本作家としてのそれぞれの顔に迫り、府川先生と先生のつくる和装本の魅力を探っていきます。

第2回では教育者として歩んできた先生のバックグラウンドをお伺いしていきます。

 

書道科を経て教員の道へ

「書道科の1期生で出たんですよ。一旦社会に出て、それから書道科ができるから来いよって言うんで、第1期になったわけですよ」
学校の先生になるため師範学校を卒業し、2年ほど小学校の教諭として働きました。その後、東京学芸大学の書道科新設を受けてふたたび学問の道へ。

「それからしばらくのあいだ教員生活を真面目にですね。幼小中高大、全部教壇に立ったわけですよ。こういうのは少ないですよ」
教員のほかに、書写・書道研究会の要職にもついていたそうです。

 


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府川先生の経歴が書かれた手書きの本

 

特技を活かして社会教育の講師に

「教員を辞めると今度は校長になったりして。校長になって、道楽をする特技を持っていたもんですから、そのためにあちこちから呼ばれて。学習院大から青学、城北高その辺あちこち。家政大学とか産経学園、朝日学園とかそれも10年7年とやって」
「行くとすぐに仲良くなっちゃうもんだから、また来てくれなんて言われちゃって」

講師以外にも、和装本や書写書道に関する執筆やテレビ出演、出張指導など幅広く活動されてきました。また、和装本製作の著書を2冊執筆しています。

「それをまた拓本もやるものですから。拓本は地方へ行って有名な人の碑を拓本にとって、僕が録画してね。それを放映したりしていたね。こういう道楽があるもんだから、あちこちで出るようになって、だんだん何をやっているんだか(笑)」
府川先生の趣味は多岐にわたり、そのために各分野での公演やメディア出演の依頼がきたのだそうです。

 

仏像を描いた拓本の作品集 中の作品も装丁も府川先生の手づくり 仏像を描いた拓本の作品集 中の作品も装丁も府川先生の手づくり

 

創作和装本作家 "洗山"

「そのうち和装本の個展をやるようになって。銀座で7回くらいやりました。3年おきくらいに。私だけじゃなくて屏風を作る人と込みでやらせてもらいましたね」
和装本の基本の形を踏襲しつつ、独創的な綴じ方を研究し、素材の組み合わせの工夫を重ね、数多くの作品を生み出しています。
「僕のつくるのは、僕にしかつくれないような独創的なもの。表紙も全部そうですよ。布から、紙から」

個展には、府川 "洗山"という名前で出展しています。
「"洗山"とは、号なんですよ。私の書の師匠が"湖山"といって。湖の山と書いて湖山。 "山"をひとつあげるよと言われて。」
「山は戦後汚れているから、少し洗って綺麗にしてあげればいいんじゃないですかねって言って。で、洗山。ま、洗濯したわけですね。洗山は書道の方の名前ですね。それはもういろんなものを全部洗山にしちゃってますけどね」

多岐にわたる趣味を持ち、趣味の枠を大きく超えてご活躍されてきた府川先生。
「それで、私の人生は道楽人生という事になっているんですけどね。そのうちに叙勲されましてね。まさか叙勲されるなんて......」
2017年秋、府川先生は瑞宝双光章(*)を受章されました。
*公務等に長年にわたり従事し、成績を挙げた方におくられる瑞宝章の勲等のひとつ

教育の道を歩み、書道や拓本、創作の和装本製作をおこなってきた府川先生。
どのように和装本と出合ったのでしょうか。

次回、第3回では和装本づくりを始めたきっかけをお伺いしていきます。

 

▼第3回はこちらからご覧いただけます

 
【目次】
 
【プロフィール】
府川 次男(ふかわ・つぎお)
長年学校教育に携わり、書写書道の研究会にて要職を歴任。教職を退いたのち、書や拓本、和装本製作の講師として各所で指導を重ねる。現在は、和紙の店 大直 吉祥寺ロフト店 にて和装本の講師としてお招きしている。2018年8月現在、89歳。